武器、兵器を国産する必要性と意義 ② 「冬戦争」「継続戦争」「ラップラント戦争」という3つの戦争を乗り越えたフィンランド

今回も「武器、兵器を国産する必要性と意義 ②」をお送りしますが、前記事である「兵器、自国開発、量産することの意義 ① 歴史的に見る兵器国産の重要性」の続きとなってります。是非、前記事からのお読みください。

敵の敵は味方

1つ目の試練、そして戦争だった「冬戦争」後も、フィンランドに対し恫喝を続けるソ連は、北欧の小国にとって、脅威であり続けましたが、ここにきて「敵の敵は味方」であるドイツ軍の接近はフィンランドにとっては渡りに船でした。

一方ドイツの思惑は、ソ連攻撃に備え、ソ連北方に隣接するフィンランドからソ連領に攻めたいという思惑もあったとされています。特にドイツが注目したのは、ムルマンスク港というソ連にとって数少ない不凍港があることでした。

ドイツ軍は、ソ連侵攻作戦「バルバロッサ」と同時に、フィンランド領から、このムルマンスク港、そして港に繋がる、鉄道「ムルマンスク鉄道」を遮断する作戦を立案します。

これがドイツ名「銀狐作戦」です。銀狐作戦は前記のように、ムルマンスク港を直接狙う「白金狐」作戦、そしてムルマンスク鉄道を遮断する「北極狐」作戦という二段構えの作戦でした。

また、ドイツのもう一つの関心は、フィンランド北方地域にある「ペツァモ」と呼ばれる地域に、ニッケル鉱山があったとされ、ヒトラーはここを抑えたいという思惑もありました。

ニッケルは、現在でもステンレスの原料となりますが、当時ドイツの軍需メーカー「クルップ」(現在のティッセン・クルップ社)が開発した強靭な装甲板「KC鋼板」(クルップ・セメンテッド)の原料となり、またドイツ戦車隊の代名詞となったティーガーシリーズ、パンターシリーズなどの「アニマルシリーズ」が生まれ、戦線で猛威を振るったこの猛獣の防御力の高い装甲版には、このニッケルは必要なものでした。

ドイツ戦車は強力な攻撃力、強靭な防御力、そして乗員の生存性の高い戦車として、今なお世界中の多くのファンを魅了しており、最近ではアニメ「ガールズ&パンツァー」に登場したことにより新たなファン層も生んでいます。

バルバロッサ作戦とフィンランドの失地回復の為の軍事行動

一方、フィンランドは、ドイツ軍のフィンランド国内の駐留を認め、冬戦争で失った失地回復を目指し、動員を始めます。

ドイツのソ連侵攻作戦「バルバロッサ」が発動した時、当初フィンランドは中立を宣言していましたが、フィンランド国内に駐留するドイツ軍の存在は、ソ連にも知られており、この事実により、首都ヘルシンキなど都市へ、ソ連軍は爆撃を行います。この爆撃によって、北の小国は赤い大国への宣戦布告を決定します。

しかし、この宣戦布告は、あくまで冬戦争において失った領土を取り戻すための戦いであり、ソ連への侵略が目的ではないと各国にアピールし、フィンランドはこの戦いを、冬戦争の延長線上にある「継続戦争」と名付けています。

最初に行動を開始したのは、ドイツ軍ディートル将軍率いる、ドイツ2個山岳師団で、ペツァモからムルマンスクを目指し、行動を開始しましたが、冬戦争のソ連軍と同様、フィンランドの深い森林地帯は、経験を積んだ山岳兵でも危険な地域で、それを乗り越えソ連軍を攻撃するも、幾度も撃退されてしまいます。

結果的には、ドイツ、ディートル山岳軍の、ムルマンスク攻略は失敗に終わります。しかし、ドイツのもう一つの目的である、ペツァモのニッケル鉱山の確保という目的を果たすため、フィンランド最後の戦いである「ラップランド戦争」が起きる1944年9月まで、ドイツ山岳軍はこの地域に張り付けにされます。

一方その南部では、ドイツ第36軍団と、フィンランド第6師団が、フィンランドに派遣されたドイツ戦車隊と主に、ムルマンスク鉄道遮断に向け行動を起こしますが、この方面のドイツ軍も進撃スピードが非常に鈍い状態でした。これは、ディートル将軍の部隊と同じように、フィンランドの地形に不慣れなドイツ兵が原因でした。例えば、戦区に布陣していた武装SS戦闘団「ノルト」は、フィンランドに派遣されるまでほとんど戦闘経験が無い部隊でした。結果、敵の攻撃を受けるとすぐに撤退してしまうという事象も起こしています。

一方ドイツ軍と共同で行動したフィンランド軍は、ソ連軍と兵力差があるものの奮闘し、ソ連軍にプレッシャーをかけ続けますが、結果的には、ムルマンスク攻略、鉄道遮断というフィンランドでのドイツ軍の軍事作戦の全般は、ほぼ失敗に終わります。

また、この作戦では2つのドイツ戦車隊が、フィンランドに派遣され、盟友フィンランド軍と共に戦っています。

一つが特別編成第40戦車大隊で、装備の内容は、1号、2号、3号戦車でしたが、非常に珍しいケースでの戦車隊ともいえるのがもう一つの戦車隊である、第211戦車大隊でした。

この戦車隊は何とその装備の全てがフランス製の戦車という非常にレアケースな戦車隊でした。この部隊の使用した戦車は、ドイツが西方電撃戦でフランスを破った際に、大量に手に入れたフランス軍の装備でありました。その内容は、オチキス戦車、ソミュアS35戦車だったとされています。ちなみにこのソミュア戦車ですが、ガルパンの最終章1話において「BC自由学園」で使用され、その雄姿を見ることができます。

取り返した「冬戦争」の失地 フィンランド軍のカレリア攻勢

引用元https://en.wikipedia.org/wiki/Finnish_conquest_of_East_Karelia_(1941)

北方でドイツ・フィンランド軍がソ連軍と激闘している中、その数か月後、フィンランド軍は南部のカレリア地峡で攻勢を開始しました。

カレリア地峡は、西にフィンランド湾、東にラドガ湖、その先にはレニングラード(現サンクトペテルブルク)があるという戦略上非常に需要な地域でした。

フィンランドにとって、カレリア地峡は冬戦争終結に伴い、講和で奪われた失地であり、この失地回復はフィンランドにとって、この戦争の目的でもありました。かくして、フィンランド2個軍は、カレリア地峡を取り戻すべく、7月10日、進撃を開始。

対して、この地域に展開していたソ連軍が、フィンランド軍と比べ小さく、またドイツの「バルバロッサ作戦」の混乱の中、フィンランド軍の攻勢に対しなすすべもない状態でした。

フィンランド軍は一週間で100㎞を進撃するという快挙を成し遂げます。結果、冬戦争で奪われた地域を奪い返したフィンランド軍は、目的を達成した後、進撃を停止します。

しかし、バルバロッサ作戦中のドイツ軍は、レニングラード方面で行動中のドイツ北方軍集団と、カレリア地峡に展開するフィンランド軍を連絡させようと、マンネルハイム将軍に更なる進撃を要請。ドイツ軍の要請に屈したフィンランドは、その先のソ連領地に進撃。その結果、ドイツ軍が失敗したムルマンスク鉄道の遮断に成功。この行動により、イギリスがフィンランドに対し宣戦布告します。

ですがその後、再三のドイツ軍の要請をかわしながら、フィンランドは戦線拡大と更なる進撃を行わず、外交によって戦争離脱を模索することになります。

2度目の奇跡 継続戦争最終局面

戦線不拡大を続け、防衛体制に移ったフィンランドは、ソ連軍の散発する攻勢を防衛しながら戦争離脱のために、アメリカを通してソ連と講和を続けます。当初ソ連が、バルバロッサ作戦でドイツに負け続けている時期には、なんとソ連側が領土の割譲まで提案していた交渉も、1942年になって、ドイツ軍の勢いに陰りが見え、1943年にドイツ軍が押されつつある状況になると、ソ連側がフィンランドに対し横暴な要求を突きつけるまでになります。このまま戦争を続けてもフィンランドに勝ち目がなく、しかし、フィンランド国内にはドイツ軍が駐留しており、ドイツ軍に蹂躙されるか、ソ連軍に侵攻されるかという状態でした。どちらにせよ、ソ連の横暴な要求にフィンランド側も拒否するしかない状態でした。

そして、1944年6月、ソ連軍は再び大軍をフィンランドに差し向けました。ソ連軍の兵力は50万、戦車、自走砲800両、航空機1500機、火砲約1万。

フィンランド全面で攻勢を開始したソ連軍は、ドイツ軍との死闘で鍛え上げられ、戦車等の兵器も恐竜並みに進化し、継続戦争最終局面では、T-34-85、ISU-152など、強大な攻撃力を持つ兵器が投入されておりました。

これに対し、マンネルハイム将軍率いるフィンランド軍は、相次いで戦線から撤退。1941年に得た領地の大部分はわずか6週間で失う事になります。

フィンランド軍は、ソ連軍攻勢に対し、フィンランドの主要地域に直結するカレリア地峡防衛に全力を挙げます。これと同時に、フィンランドのリュティ大統領は、ドイツに支援を要請。ドイツ側はフィンランド単独で講和をしない条件で、3号突撃砲、対戦車兵器パンツァーファウスト9000基、パンツァーシュレック5000基を支援として供与します。また、303突撃砲旅団や第122歩兵師団などドイツ軍部隊の援軍も到着します。しかし、これによって、かろうじて友好関係を保っていたアメリカが激怒し、アメリカ外交団が帰国してしまいます。ここで戦争離脱の機会は失う事になります。

そして、決戦となった、タリ=イハンタラの戦いで、鹵獲したT-34戦車や、ドイツから供与された3号突撃砲、パンツァーファウストを装備した歩兵で待ち伏せ、ソ連軍と死闘を繰り広げ、そしてついにソ連軍の攻勢を阻止します。

(写真は、昨年10月末にとあるミリタリーツアーの際に、ドイツコブレンツ軍事博物館で撮影した、パンツァーファーストです!!)

(同じくツアーで撮った、パンツァーシュレック!これらのドイツから供与された対戦車兵器がフィンランドを救ったとされています)

このタイミングでフィンランドは、マンネルハイム将軍を大統領に添え、ソ連へ和平を申し出ます。ソ連側は、冬戦争で得た領地の再割譲、ペツァモ地域と北極海への回廊の全ての割譲、多額の賠償金、また自力でのフィンランド国内に駐留するドイツ軍の排除が要求され、フィンランドはこれを呑むことになります。

これにより、フィンランドはドイツとの関係を断絶、ソ連との休戦が締結されます。

なお、単独での講和をしないという条件にドイツからの支援を供与されたフィンランドですが、その結末は、このドイツとの約束事は「当時のリュティ大統領の「一個人」の書簡に基づくもの」として諸外国にアピールし、リュティ元大統領を「ナチスと手を組んだ売国奴」として指定することによって、一連の講和、ドイツからの支援という事実を、諸外国へアピールしています。

フィンランド最後の戦い「ラップラント戦争」

こうして自力で国内に展開するドイツ軍を排除することになったフィンランドでしたが、ラップラント(フィンランド北部地域の総称)には、ドイツ第20山岳軍の約22万が駐留していました。この部隊は、この地域にあるペツァモのニッケル鉱山の確保という目的ために駐留していたとされていますが、フィンランドとソ連の休戦に伴い、同山岳軍は、9月にフィンランド撤退作戦「ビルケ」を開始。すでにノルウェーへの撤退を開始していました。

しかし、このような大軍がすぐに撤退できるはずもなく、フィンランド、ドイツと共に関係は友好であったものの、昨日の友に銃を向けることになってしまったフィンランド軍は、ドイツと互いに「やらせ」の戦闘を行い、無傷でドイツにノルウェーへの撤退を促しました。しかし、ソ連がいち早く察知して、フィンランドへ本気で攻撃するように要請。

フィンランドも本気にならなければならなくなり、ドイツ軍の退路を断つべく、バルチック海岸の港町、トルニオに上陸作戦を開始し、ドイツ軍に打撃を与えました。これに対し、ドイツ軍は、撤退途中の町を次々に破壊し「焦土作戦」を実施し、またロヴァニエミという町では、街中でドイツ軍の弾薬を積んだ列車が、街中で爆発し、街を廃墟と化させました。フィンランドはこれら一連の戦闘を「ラップラント戦争」と呼びました。そして、1945年4月にようやく、ドイツ軍はノルウェーへ撤退が完了しています。

申し訳ありません!!またまた長くなってしまったので③に続きます!

極力次の③で完結できるよう、努力します!!

参考文献:

  • 「レアメタルの」の太平洋戦争 藤井非三四 (学研パブシッシング)
  • MCあくしずVol27 枢軸の絆;フィンランド:奇跡は2度起こる後編 文:内田弘樹 イラスト:EXCEL
  • 月間パンツァー 2015年1月号「継続戦争1941年~1945年」(アルゴノート社)
  • フィンランドのドイツ戦車隊 カリ・クーセラ著 斉木伸生訳(大日本絵画)

文章;金剛たけし

兵器、自国開発、量産することの意義 歴史的に見る兵器国産の重要性①

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