どうも皆さまご無沙汰しております。金剛でございます。
今回、ミリマガ編集様の方に、新しい企画として、ミリオタおじさんである私、金剛が軍事、歴史にちなんだ本をザックリ紹介するコーナーを用意して頂きまして、ゆっくり、ダラダラ書かせていただきたいと思います。
今回は、記録小説の金字塔と呼ばれているらしいのですが、吉村昭先生の、「戦艦武蔵」をご紹介させていただきます。
この本は、元々終戦後、戦艦武蔵の建造に携わった技師が記録していた建造日誌を基に書かれた小説で、進駐軍に押収されることを恐れ、日本側に処分されるのを惜しんだ戦艦武蔵を生んだ三菱重工長崎造船所の技師が、密かに保存されていたものを、吉村氏が借り受けたという事でした。
発行は、昭和46年8月14日と既に50年近くの歳月が過ぎておりますが、第30発行で昭和62年、第43発行で平成5年と、長きにわたって読まれている書籍となります。
釣り具原料の一つ「棕櫚」が消えた…その真相とは
この書籍の注目ポイントは、当時の日本の情勢が詳しく書かれている事と、戦艦「大和」と「武蔵」がいかに秘密裏に建造されていたことを詳しく書かれている事です。
今でこそ、ゲームやアニメ等で使用されたことにより、戦艦大和、武蔵の名前がファンの間で定着し、戦艦の代名詞となっていますが、当時の戦艦といえば、「長門」が国民的スターでした。また長門は、関東大震災時に、震災を受けた関東地方にいち早く救援物資を運んだことにより、国民に一層の人気を与えましたが、大和、武蔵については、存在自体が機密でした。
ではどこくらい機密だったのか?
この書籍には非常に、詳しく書かれていいます。
当時、大和、武蔵の名前は巨大な造船所で働く数千名の中でも数人しか知らされておらず、名称も「一号艦」「二号艦」と呼ばれていました。ちなみに一号艦は「大和」、二号館は「武蔵」ですね。
また、その事実を知り、建造に関わる全ての人は、特高警察(書籍の中では、警察の特高係とあります。)に身元調査され、この建造に関わる全てを口外しないことを約束され、宣誓書まで書かされるという徹底ぶりでした。
そして、この書籍の始まりは、三菱重工長崎造船所が存在する、長崎周辺の漁業関係者内で、ある騒動があったことから始まります。その騒動とは「棕櫚」という漁業道具の原料となる繊維が、扱っている商店から一切の姿を消したことです。
そのため棕櫚の価格が高騰。棕櫚自体は、一般的に九州の温暖な地域に植生する、ありきたりな植物の為、商業用に栽培はされておらず、さらに漁業道具に使われるといっても、碇綱や浮子綱(バタつな)等にしか使われないこの繊維が、長崎周辺で消え、漁業組合までもが動くという事態になります。
なぜ棕櫚がなくなったのか。ちょっとネタバレになってしまいますが、実は長崎造船所では、「二号艦」の建造している姿もすべて一目触れないようにと、軍部から命令されています。
長崎造船所は、山々に囲まれており、上からのぞくことができ、人々の目に触れやすい地形になっております。更に長崎にはその歴史から多くの外国人が存在した為、機密を恐れた結果、軍部と長崎造船所の上層部は、造船中の二号艦を遮蔽する研究を命じられます。
この巨大な建造物を隠すため、様々な材料でテストしましたが、大風、大雨で破壊されてしまうものばかりとなり、ある日、「棕櫚」ならば、と考えられた結果、どのような条件もクリアする唯一の材料となりました。
結果、二号艦を隠すために必要な棕櫚の必要量は、面積として75000㎡、長さ2500㎞、重さにして400トンでした。
そして長崎造船所の、棕櫚の大量買い付けが始まり、棕櫚の高騰につながるという事です。
また、長崎市内でも、憲兵、特高警察が数多く入り込み、市民、滞在する外国人、動員された造船所の職員の監視を開始。彼らは、市民から感づかれないよう、わざわざ地元のタクシー会社に就職したりして一般人として潜入していました。そしてある日、拳銃を装備した彼らが、一斉にある場所に踏み込みます。その場所は支那人街、つまり今で言うところの「チャイナタウン」です。そして、幾人の中国人をスパイ容疑で逮捕、尋問を開始します。この結果、この時の尋問、拷問が原因となり、男性の老人一人が死亡していると記されています。
その他にも、長崎造船所の歴史や、軍縮期の造船業の苦境、そして秘密裏に進んでいた、「二号艦」の苦境の中での建造など、歴史書として非常に貴重な証言が詰まった作品となっています。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
文:金剛たけし
参考文献:知られざる日本海軍軍艦秘録 (彩図社)日本軍の謎検証委員会