ガルパンにも出なかった…けど僕だって頑張ったんだよ!な、独軍の1号戦車な話をしますwwwその②第二次大戦開戦とポーランド電撃戦

皆様、ご無沙汰しております。金剛でございます。

前回のコラムからまたまた期間が開いてしまい申し訳ありません<m(__)m>今回も久しぶりとなってしまいましたが、宜しくお願いします<m(__)m>

各地を転戦する1号戦車

さて前回のコラムでは、第二次大戦直前の時点で、ドイツ最大の装甲兵力だった1号ちゃんのスペイン内戦での戦いをフォーカスしました。

1936年に始まったスペイン内戦では、初の戦車VS戦車を経験した1号でしたが、そもそも武装が、対戦車戦闘ではアレ過ぎた上に、訓練用として生産された身としては、なかなか厳しい戦いでしたが、その後、ドイツ軍の基本となる、戦車、歩兵、航空機、砲兵、との連携で敵を倒す、という戦術を生む上では、1号は無くてはならない存在だったとも言えます。

そうして、今後のドイツ陸軍の戦いに重要なヒントを残した1号でしたが、息をつく暇もなく、様々な行動に連れていかれます(笑)

第二次大戦がはじまる直前、ドイツは、オーストリア、チェコスロヴァキア(ズテーテン地方)、非武装地帯「ラインラント」進駐など、周辺諸国を次々に併合または配下に置きます。その際、進駐した後、現地のドイツ系住民に歓迎された進駐軍の中に、1号戦車の姿も見られます。(ラインラント進駐では、戦車などの重武装は投入されなかったという説もあるようです)

この時期、イギリス、フランスなどの周辺国は、第一次大戦のトラウマから、ヒトラーの要求を次々呑んで、チェコスロヴァキア等の併合を認め、再び大戦を起きないように努めますが、当のヒトラー監督はそんなのいざ知らず(笑)

その矛先をポーランドに向けます。

ドイツは当初、位置としてはポーランドの真上にあり、途中領地を分断されていたため陸続きとなっていなかったドイツ領地「東プロイセン」(現ポーランド、ケントシン)
の途中にある、ポーランドの都市、ダンツィヒ回廊を奪取するためこの領地の割譲を要求しますが、ポーランドは拒否。
こうして、ドイツは、ドイツのラジオ局がポーランドの過激派により襲撃されるという「自作自演」の理由をつけ、ポーランドの侵攻し、第二次大戦がはじまります。
しかし、ドイツ軍の主力である、3号、4号戦車の数が全くそろわず、結局は、またまた数合わせの1号、そして、1号より少し実力を持った2号戦車、そして、この戦車不足から併合したチェコスロヴァキアから引き抜いた(移籍?ww)、35t、38tという戦車を組み込んで、ポーランドに攻撃を仕掛けます。

草野球的に解説すると、選手足りないので、監督が他チーム(チェコスロヴァキア)から助っ人を数人連れてきた感じですかね(笑)ちなみに、草野球では助っ人は常套手段です(笑)

一方ポーランドも、当時の欧州では随一の軍隊を持っていました。1920年代。チェコスロヴァキア、リトアニア、そしてソ連とは国境紛争で激しく対立し、1920年に終結したソ連=ポーランド戦争では、なんとソ連を打ち破り領土拡大に成功していたため、第二次大戦前にして、周辺国とは敵対関係にありました。

また、動員兵力も最大360万人を動員可能でしたので、確かに兵力を考えれば、簡単には負けないはずでした。

いざ、ポーランド戦へ!!

こうして、ドイツ軍はポーランド領へなだれ込みますが、そもそもポーランド側も、ドイツがここまで本気で攻めてくると思っていなかったふしがあったり、近代化したドイツ軍が、急降下爆撃と共に、地上では戦車を中心とした部隊が次々とポーランドの戦線を突破するなど、戦場に革命を起したドイツ軍のスピードについていけないとかで、瞬く間に首都ワルシャワを包囲されてしまいます。この時、装甲兵力の最大多数だった1号も、戦線突破の先兵となり活躍し、戦車隊に突っ込んできたポーランド騎兵隊を撃退などの活躍を見せます。(←これについてはプロパガンダという説もありますが、独ソ戦でソ連騎兵部隊(コサック兵だったかな?)が、ドイツ戦車隊に突撃をかましたという話もあるので、あながちありそうとも言えます。)

しかし、さすがのポーランドも、ワルシャワを包囲されては本気を出さざる得なくなり、必死の抵抗を行います。特に1号戦車の話では、ポーランド側の対戦車砲の被害が大きかったとか。

また、草野球でもどんなチームでも、1人は良い選手がいるものです。責められ続けたポーランド側にも、この時戦車エースがいました!!その名も「ロマン・エドゥムント・オルリック」。

若干21歳の彼は、士官見習いとして戦場に出ており、なんと「TKS」という当時経済的に問題を抱えていた多くの国の軍が購入した豆戦車で、ドイツ軍に戦いを挑みました。ちなみに、当時オルリックが乗っていたTKSは主武装で、鉄鋼貫通力に優れた20mm機関砲を搭載したタイプだったとされています。オルリックは、待ち伏せ戦法により、ドイツ軍軽戦車を13両撃破(諸説あり)と言われております。


(写真は2017年ポーランドの軍事博物館で撮影しました、旧ポーランド軍のTKSです。武装はオルリックの扱ったTKSの20mm機関砲よりも小さい機銃です。(7.92mm?)

このように、ドイツ軍はワルシャワ攻略で思わぬ抵抗にあいながらも、包囲を続けます。そして密約に従って東から攻めてきたソ連軍によって、ポーランド政府は亡命し、ポーランドこの2つの大国に、分割占領されます。

こうして、スペインで初の実戦を経て、ただの数合わせから、1プレイヤーとなった一号ですが、この後、更にすさまじい戦いに臨みます。草野球で例えるなら、練習する時間などないので、試合でぼろくそに言われながらも実戦で野球を覚えていく、野球未経験者みたいな?(笑)←意外に多いんですよ?ww

済みません、3に続きます。スローペースで申し訳ありません<m(__)m>

参考文献

「戦場のピアニスト」作ウワディスワフ・シュピルマン
「萌えよ!戦車学校Ⅲ型」文:田村尚也 イラスト:野上武志

文章:金剛たけし

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