ガルパンにも出なかった…けど僕だって頑張ったんだよ!な、独軍の1号戦車な話をしますwwwその③西方電撃戦と一号戦車

皆様、ご無沙汰しております、金剛です<m(__)m>

ちょっと長引きそうなこの1号戦車コラムですが、私の集中力が切れるまでに、なんとか終わらそうと思います(笑)

ドイツ軍、宿敵フランスへ

ポーランド電撃戦で勝利を収めたドイツ軍と一号戦車ですが、ヒトラーは立て続けに、北欧地方に進撃、この辺は後ほど詳しく紹介しますが、そのあとにその矛先を、宿敵フランスに向けます。

フランスは、第一次大戦時から陸軍大国として君臨しており、第二次大戦がはじまった当初も、戦車戦力も当時としては非常に優秀な戦車を保有しておりました。

オチキス軽戦車、ガルパンでも登場したソミュアS35、ルノーB1bsなど、これらの戦車は、ドイツ軍にとって脅威でした。これに加えイギリス欧州遠征軍(BEF)も、フランスにマチルダⅠ、マチルダⅡという重装甲戦車を持ち込んでおりました。

また、フランス側も第一次大戦の教訓から、ドイツとフランスの国境線沿いに「マジノライン」という強固な要塞線を築いて、ドイツ軍を迎えます。

この時、フランス側は、このマジノラインが予算不足で、同じくドイツと国境を隣り合わせになっているベルギー方面まで、要塞線を伸ばすことができなかったため、フランス軍と、イギリス欧州遠征軍(BEF)は、ドイツ軍が攻撃を仕掛けるなら、ベルギーを通過してフランスに侵入するだろうという想定をしていました。これは「ディール・プラン」という名前の防衛計画でした。

実は、ドイツ側もフランス側が予測していた通りの侵攻作戦を立てていましたが、一人の天才軍人が、この作戦を変更し、主力部隊をベルギー南部の「アルデンヌ森林地帯」を突破し、ベルギー国境線沿いを防衛するフランス軍を包囲するという作戦を立案します。この将軍こそ後に「ドイツの頭脳」と呼ばれる、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥です。

しかし、この時、この作戦は却下され、マンシュタインも左遷されてしまいますが、こののち、この西方電撃戦の重要書類を持った空軍参謀を乗せた航空機が、悪天候でベルギーに不時着してしまう「メヘレン事件」が起きてしまいます。

この際フランス軍は、この重要書類に、ドイツ軍が自分と同じく想定している侵攻作戦を企てていることを知り、ディール・プランを進めます。一方作戦が漏れたことを懸念するドイツ軍とヒトラーは、マンシュタインを呼び寄せ、「マンシュタイン・プラン」を採用。こうして、1940年5月10日、ドイツ軍は、西方侵攻作戦「ファル・ゲルプ」を発動します。

ドイツ軍絶頂期の作戦はこうして行われた

まず、進行するにあたり、ドイツ軍は、A・B・Cという3つの軍集団を3方面に振り分けます。主力のA軍集団はベルギー南部のアルデンヌ森林地帯へ、B軍集団は、ベルギー北部でフランス、イギリス連合軍を引き付け、C軍集団はマジノ線への攻撃という役割を与えます。

連合軍は、当初ドイツB軍集団を主力と見ていましたが、連合軍は、まんまとドイツ軍の思惑にはまり、ドイツA軍集団はアルデンヌ森林地帯を突破。

その後、アルデンヌを突破したドイツA軍集団により内側から攻められたフランス・イギリス軍は敗走し、イギリス欧州遠征軍はいわゆる「ダンケルク撤退」を経て、本国イギリスへと撤退します。その後、ドイツ軍は包囲外のフランス軍を掃討しながら、6週間で欧州最大の陸軍大国を降伏させます。

で、この大決戦の時、我らが1号ちゃんはどこにいたかというと、いましたよ。ほぼ全域に(笑)

特に、敵を引き寄せたB軍集団、主力のA軍集団と共に、アルデンヌを突破した戦車隊の中に当然1号ちゃんもおりました。ちなみに、マジノ線にいたC軍集団は、装甲師団ゼロ、つまり戦車部隊無しの部隊だったと言われております。

そして我らが最大の数合わせ、一号ちゃんですが、かなりの損害を受けました…

そりゃ、最大装甲厚13mmで、機銃しか装備してないですもん…相手は、37mm砲だとか、75mm砲とか装備してて、ドイツ軍内での先輩、3号、4号戦車もルノーb1bisに大苦戦してるんですもん。

ちなみにですね、ある資料によりますと、この西方電撃戦で2574両のドイツ軍戦車が参加しましたが、4号戦車が278両、3号戦車が349両で、残りの1947両が、1号、2号、38t、35tだったと言われています。良くこれで勝てたな…と思う方もいるかと思いますが、やはり、戦車と空軍、砲兵の連携した攻撃、そして戦車を中心とした突破戦術を駆使し、フランスを降伏させたという事です。つまり、兵器の性能が直接勝利をもたらすとは限らないという事を表した戦いですね。

(ロンメル将軍が率いた「幽霊師団」こと第7装甲師団の主力を担った、チェコ製の38t。アニメガルパンでも生徒会チームが操縦し大活躍。秋山殿も、ロンメル将軍率いる第7装甲師団で主力を務めた~と解説していますねwww 撮影、2017年10月ドイツ・ムンスター)

ちなみに、6週間という短い期間で降伏させた西方電撃戦で、ドイツ軍が無傷で終わりかと思われるかたもいるかもしれませんが、損害も大きかったと言われております。それは流石に欧州1の陸軍大国フランス軍と、元世界の覇者、英軍を両方相手にしているのですから、ただでは終わりませんね…

その代表例が、アラス反撃でしょう。これは、北フランスのアラスという町で、BEFが、後に超有名将軍となる、「エルヴィン・ロンメル少将」率いるドイツ第7装甲師団対して行った反撃作戦です。

この時、BEFはガルパンでも登場したマチルダⅡ戦車、マチルダⅠ戦車を中心にした戦車隊を、ドイツ軍にぶつけました。

この攻撃によって、部隊は一時大混乱に。それはそのはず。この時反撃したBEFが使用した戦車であるマチルダⅡは、最大装甲は78mmと1号ちゃんのおおよそ6倍!マチルダⅠにしても、主武装が機銃のみだが、最大装甲が65mmとおおよそ4倍。硬すぎる防御力を有し、突進します。

ドイツ軍部隊は、手持ちの装備、戦車砲では歯が立たず、次々に戦車が撃破され、部隊は大ピンチになりますが、名将ロンメルは、ここぞとばかりに、一号ちゃんと一緒にスペイン内戦を戦った、チームの4番バッター「88mm高射砲」を投入。元々対戦車砲としても開発され、徹甲弾も用意されていた切り札が、次々にBEFの戦車部隊を壊滅に追い込みます。こうして、英仏連合軍の組織的な反撃は失敗に終わります。

その後、BEFは、ダンケルクへ追い込まれ、約30万人が、本国イギリスに脱出。(この辺は過去に映画にもなりましたね)そして、包囲外のフランス軍部隊を掃討する「ファル・ロート」作戦が実施され、各個撃破されます。そして、6月22日に、フランスが降伏し、約6週間で欧州最大の陸軍大国がドイツに屈します。

この作戦のポイントは?

この作戦におけるポイントは、スピードだと言われております。その代表例として、ある資料には、前線指揮所の違いとも言われています。

というのも、ドイツでは、将軍が自ら前線に赴き、ハーフトラックの上で陣頭指揮を取ったり、すごいのは「シュトルヒ」と呼ばれる偵察航空機に直接乗って状況を常に把握し、迅速に前線部隊へ命令を行っていたというものです。

(ドイツ軍が歩兵と戦車と同伴するために開発された、兵員輸送ハーフトラック、通称「ハノマーク」種類、派生は多く、「sd.kfz.250」とも表記されます。派生としては、牽引車タイプ、兵員輸送タイプ、更に大型化したsd.kfz.251、陣頭指揮のために、無線通信機器を乗せたタイプなど、様々あります。撮影:2017年10月、ドイツムンスター)

逆に、フランス軍では、将軍は地下壕で、前線からの無線、電話等で状況把握していたため、状況把握において、ドイツ軍の行動よりワンテンポ遅く行動していたため、対応しようとしても、命令するときには既に前線を突破された後だったり、とやる事なす事すべて後手に回っていたと言われています。

1号ちゃん、契約延長

こうして、大きな損害を受けながらも、この戦いで、我が1号ちゃんも、さすがに前線投入はキツイか…と現場サイドでも思われていましたが、ヒトラー監督が、更に戦車部隊の数を増やしたため、

「戦車が足らん…」

まさかの、1号ちゃん、契約延長となったのです。

そして、一号ちゃんにとって、その身の丈に合わず、超過酷で史上最大の地上戦として名高い「独ソ戦」にもまさかの参加となります。

すみません、また長くなりますので、お付き合いのほどお願いいたします<m(__)m>

文:金剛たけし

参考文献:
萌えよ戦車学校Ⅲ型 文:田村尚也 イラスト:野上武志 発行;イカロス出版
ドイツ4号戦車戦場写真集:広田 厚司 潮書光人社
戦車のメカニズム図鑑:上田信 グランプリ出版

 

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