どうも、ご無沙汰しております、金剛でございます。
ようやく気温が下がり、既に冬に向かい始めている季節ですが、ちょっと話は変ってプライベートな話で恐縮ですが、筆者は草野球をしております。
団体スポーツをしている方ならお分かりだと思いますが、基本的に野球も人数が揃わなければ、「負け」が成立してしまいますね。いわゆる不戦敗です。
少し前の話をするんですが、ある東京の大会に出場していた、我がチームは、ある試合で、なんと人数が1名足りない状態…そこで、まったく野球などやっていなかった私の部下を連れてきて、とりあえずライトのポジションにつけたのですが、1人の人数合わせ以外は、精鋭が集まりましたので、まるで今年の西武ライオンズの「山賊打線」張りに、その他の8人が打ちに打って、なんと、その試合、勝ちました(笑)
すみません、話がだいぶそれてしまいましたが、つまりは、スポーツも戦力が揃わなければ、試合が成立しないわけですね。
これを、いきなりですが戦車に例えます(笑)
なんで1号がおらんの!?
戦車を集中運用し、それまでの戦いに革命を起こしたのは、ミリヲタならこの名前は知っているだろう、ドイツ機甲師団の生みの親「ハインツ・グデーリアン上級大将」です。グデーリアンといえば、アニメガルパンで、秋山殿がエルヴィンさんに、グデーリアンのソウルネームを付けてもらい喜んだシーンがありましたね。
この将軍が、それまで支援の役目だった戦車を、いわば戦線突破の為の「主役」に抜擢したことで、それまでの戦争での戦い方を変えてしまいます。いわゆる「電撃戦」ですね。
そして、始まった、第二次大戦ですが、ご存知ドイツの「ポーランド電撃戦」から、このドイツ陸軍の伝説が始まりますが、このポーランドから始まり、そしてフランスまでの、いわゆるドイツが輝いていた時の電撃戦の主役は、数の上で1000両を超える訓練用として生まれた「1号戦車」です!!
え?1号?2号戦車は、ガルパンの劇場版で登場していたし、主役みぽりんのプロフィールで、好きな戦車として名前出ているから知っているけど、1号?ガルパンに出てねーじゃん。
※(実はガルパンの劇中、1号戦車の派生型である、「1号指揮戦車」は秋山殿の部屋の棚に置いてある、プラモデルとして登場していましたが、原型の1号戦車は出ていません、と思います…指摘あればお願いします…)
そう!そうなんです!ドイツ戦車初の量産戦車ともいえるこの戦車、しかも最終章では、それ以前に開発された、英国の菱形戦車が出ているのに、なんで1号がおらんの!?
史実では、まさに主役であるはずの3、4号戦車が全くそろわず、こんなんじゃ試合(戦争)なんかできねーじゃんと、焦ったヒトラー監督が、数合わせを探すと
「ん?この大量にいる訓練戦車、機関銃しか積んでねーけど、1000両超える数があるから、君たち?試合に出てくんねーかな?」
と、半ば監督の無茶ブリに応えることとなり、こうして、開戦当時ドイツ陸軍最大の戦車戦力であり、最大の数合わせだった訓練戦車に、電撃戦の主役が回ってきましたとさ(笑)
というわけで、前フリが長くなりましたが、ミリオタファンは、ドイツ戦車でいうとティーガー、パンター、4号戦車など花形戦車に目を向けがちですが、今回は、本来ならある意味歴史的な戦車として登場のはずが、いろんな軍事雑誌に「弱小戦車」「ポンコツ」扱いされクソミソに言われている、ドイツ初の量産戦車、1号戦車にクローズアップしてみますwww
元々は訓練用に開発されたドイツ戦車の租でありドイツ初の量産戦車だった1号戦車!
歴史上はじめて戦車が登場し、戦線投入された第一次大戦で、敗北したドイツは、戦車の開発を禁じられていましたが、はい、そんなの知らずに極秘に開発していました、戦車(笑)
1920年代にドイツでは、秘密裏に始まった戦車開発ですが、1932年に「農業用トラクター」の開発ということで本格的に開発に着手します。そして出来上がった「農業用トラクター」はどこをどう見ても「戦車」になり、これが後の1号戦車になります(笑)
1号戦車は、1934年からまずはA型が量産に入り、818両が生産されましたが、エンジン出力と足回りに欠点があり、これを向上させたB型が35年から37年までに675両が生産されております。
この1号戦車のコンセプトは、いずれ中核を担うだろう、戦車戦力に備えるために、「乗員育成のために訓練を行える程度の簡単な操作で操縦できる戦車」だったそうです。
そして、大戦が始まるまでの間、ドイツ陸軍の中核となるべく、戦車兵の育成にこの1号戦車の役割が大きく貢献しましたが、ここでまさかの最初の実戦を経験します。それが1936年に起きたスペイン内戦です。
1号戦車初の対外試合(戦争)スペイン内乱
スペイン内戦では、ドイツ、イタリアがフランコ将軍率いる、反乱軍を支援し、大量の武器を提供します。ドイツでは、いわゆる「コンドル軍団」と呼ばれる、ドイツのスペイン派遣軍が有名ですが、この派遣軍では、メッサーシュミットなどの新兵器を装備したドイツ空軍の航空隊の活躍が有名ですね。さらに、派遣軍は、スペインの都市、ゲルニカを爆撃。その惨劇を、有名画家、「パブロ・ピカソ」が、自身の爆撃への怒りを作品にした「ゲルニカ」と呼ばれる作品を生んでいます。
実はこの派遣軍には、100両ほどの1号戦車、88mm高射砲(通称アハトアハト)などの強力な兵器を装備した陸軍部隊が存在しました。
これらの新生ドイツ軍の1号戦車などの兵器達は、ソ連が支援する政府軍の配備したソ連製兵器、戦車ではT-26などの兵器と戦う事になります。
つまり、このスペイン内戦は、第一次大戦で敗北したドイツにとって、いわゆる第二次大戦がはじまるまでの「戦間期」で開発した兵器を、実戦で試す機会となったのです。
その戦いの最中、スペイン内戦での1号戦車は、T-26に全く歯が立たないことが露呈してしまい、早くも戦車としての限界が見えてしまいました。(同じくイタリアのCV33も苦戦しています。)
ですが、ある意味新生ドイツ軍にとっては、このことが「戦い方」を覚える機会にもなったようです。
というのは、戦車同士のガチンコの戦いでは勝てなくても、例えば無線通信を駆使して、1号戦車が、敵のT-26を自軍の対戦車砲が構える陣地までおびき寄せ、待ち構えた対戦車砲で敵戦力を撃破するという戦術を覚えたのも、この戦いと言われています。
野球で例えると、四球で塁に出た1号戦車が、3番、4番バッターである、37mm対戦車砲、アハトアハトが長打を打ち、ランナーに出ていた1号戦車がホームに生還みたいな感じですかね(笑)
ちなみになんですが、例えば非力な1両の戦車が、偵察や敵をおびき寄せるという行動が戦場で必要とされるかというのを肌で感じるには、ウォーゲーミング社の「ワールド・オブ・タンクス」をやってみると非常にわかります。
そして、スペイン内戦で、このような自軍の装備より優秀な敵が出現しても、戦術でカバーすることを立証したものの、やはり現状最大戦力である訓練戦車の限界が見えたのにもかかわらず、当時のドイツの工業力では、なかなか開発・生産が進みません。そして、そうこうしている内に、ヒトラー監督が、まさかポーランドに対外試合(宣戦布告)を申し込んでしまうわけですね。こうして、最大の数合わせ戦車の本当の戦いが始まってしまいます。
すみません、長くなるので、次回に続きます。<m(__)m>
文章:金剛たけし
ガルパンにも出なかった…けど僕だって頑張ったんだよ!な、独軍の1号戦車な話をしますwwwその②第二次大戦開戦とポーランド電撃戦