第0回 贋作・生物としての静物 – 開高さんのzippo

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はじめに

開高健という作家をご存知だろうか?ある友人は(釣り師)と呼ぶし、別の友人は(コピーライター)と呼ぶ。私は、(28才で芥川賞を受賞した、ヴェトナム従軍記者)と答える。

開高さんの著書に、生物としての静物(集英社)というのがある。エピグラフにはこう記してある。

 

長い旅を続けて来た。

時間と空間と、生と死の諸相の中を、

そしてそこにはいつも、

物言わぬ小さな同行者があった。

 

で始まる小さな同行者と開高さんの物語。目次から拾ってみると、ラッキー・ストライク、モスキート・コイル、ブルー・ジーンズ、ウェンガー・ナイフと、こんちゃねさん的なアイテムがずらりと並ぶ。もし、開高さんがご健在で物語を紡がれておられたら、色々な小さな同行者たちが見えたと思う。が、開高さんは遠い所に旅立ずいぶんとなる。ならば、自分たちで紡いでしまえと始めたこの企画。暖かく、永い目で見守るようお願い申しあげます。

開高さん

63695412簡単に経歴を振りかえりたい。1930年大阪市・天王寺区うまれ。第2次世界大戦後、大阪市立大学・法部入学。在学中に文芸同人誌に参加、1952年同人仲間の牧羊子さんと結婚。一児を設ける。牧羊子が壽屋(現・サントリー)を育児のために退職するさい後任として宣伝部に入社する。数々のヒットを放ったのち、1958年(裸の王様)で芥川賞を受賞、これを機に壽屋を退職し専業作家となる。

週刊朝日で連載した、(ずばり東京)が好評だったために編集長が「世界のどこでも取材に行かせてやる」と提案したところ「ヴェトナムに行って戦争の実態を見たい」と答え1964年11月南ヴェトナム政府軍に従軍する。

帰国後、ベ平連(ヴェトナムに平和を!市民連合)に参加するが、新左翼派との関係が強くなりイデオロギー色が濃くなると脱退した。ヴェトナムでの体験を元にした、闇三部作(輝ける闇、夏の闇、花終わる闇)を執筆(花終わる闇は未完)

晩年は趣味の釣り紀行がTVで放映されたり、サントリーのCMキャラクターに抜擢されたり、週刊プレイボーイで人生相談の連載を行うなど、メディアへの露出が増える。私も◯◯洋画劇場のCMで開高さんを初めてお見かけした。1989年食道ガンが原因で死去。58才。

開高さんとZippo

 

1/17
D-ZONE
FEB.14.1965
Yea Though I Walk Through The Valley
Of The Shadow Of Death I Will Fear
No Evil For I Am The Evilest Son Of
A Bitch In The Valley

開高さんのzippoには、”弾よけの呪文”が刻んであります。かなり有名な呪文らしく当時のサイゴンには路上に”彫り屋”が何件も店を出していて、いちばん長い呪文を2~3コのzippoに彫らせて持ち歩いたそうです。雰囲気重視で意訳すると、

 

ヨォ 俺はデス・ヴァレィの陰を通り抜ける。
俺はよこしまでもないし、恐ろしくもない。
俺がこの谷で一番のゲス野郎だからな。

 

という感じでしょうか。

呪文以外の部分は日付けと場所と1/17という数字です。日付けは1965年の2月14日、開高さんは三個大隊構成一個連隊(軍用トラック20台重装甲車9台105㎜無反動砲3門 完全武装兵員500人)のザ・マック作戦に従軍します。場所はD-ZONE(ベン・キャット北10㎞)。結果ベトコンの待ち伏せにあい200人の第一大隊は開高さん含め17人になってしまいます。1/17の1が開高さんでした。同行した従軍カメラマン秋元さんも無事生還しました。激烈な体験をした後、”弾よけの呪文”を彫ったzippoを持ち歩くようになりました。

作戦は”ジャングル戦記”に詳しく書かれています。以下引用

 

広大な熱帯のサフラン色に染まった夕焼けの中で、双方の曳光弾は美しく苛烈だった。そして沼地を越えかけたとき、最後のヴェトコン狙撃兵たちの自動銃とライフルのすさまじい掃射が私たちの背を襲った。

私のすぐ後、秋元カメラマンの真横を走っていたヴェトナムの大尉が、右肩を貫通銃創されて倒れた。私はバックを捨て、敗走する兵士たちとまじって前へ前へと走った。

引用終わり

 

ヴェトナムで開高さんと従軍したzippoたちは2コ生き残り、そのうちの1コはアラスカからフエゴ島までの南北アメリカ大陸縦断にお供し、無事東京まで帰ってきました。主人をなくしたzippoは開高健記念館で見ることができます。

ジッポのリッドをはじく。カィィン、、、乾いた音と共にウイックが姿をあらわす。フリントホイールに親指をかけ廻す。ジッ、、ホイールがフリントを削る。ほんの一瞬の空白の間、ポッ、、、とサフラン色の小さい炎が生まれた。開高さんが見た曳光弾はこんな色だったのだろうか?

※以下の書籍及びサイトを参考にしました。

1.生物としての静物 集英社
2.開高健全集11巻 新潮社
3.茅ヶ崎市開高健記念館
4.開高健が見た戦場(動画)

(企画・文章構成:こんちゃんさん 写真:伊藤さん)

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